良い雰囲気の席では、正客だけでなく詰や寄付の方にまで亭主の目と心が行き届いているように感じます。水屋やお運びの人たちもまたそれぞれに席中の様子を窺い、心のこもった一椀を出して下さいます。そうした茶会に招かれたとき、私は本当にうれしく思います。良い道具を持ち、それについて上手に説明することだけがお茶ではありません。席に貼られた全ての方に亭主の思いが伝わり正客や連客と心を通わせてこそ、一座建立なのです。

手前に学ぶ 千宗室
淡交タイムズ、2011年1月号

近年ITの世界ではユーザエクスペリエンスが重要視されています。ここでは筆者の研究分野の1つであるユーザエクスペリエンスとは何かについて説明してみたいと思います。

ユーザエクスペリエンス=ユーザ体験、顧客体験

ユーザエクスペリエンスとは、ユーザ体験、顧客体験ともいい、情報提示画面を持つすべてのコンピュータ機器がユーザに与える体験を指します。実際には、画面が無くても体験は与えられますが想像しやすくこう書きます。ユーザエクスペリエンスとは、個々の画面内の要素やその振る舞いではなく、コンピュータ機器やコンピュータを通したWebサービスなどを使用した時、使い終わった後、使い続けた際に得られる体験の総称で、どのような体験をユーザに与えるかが重要であり、それに基づいて使い勝手(ユーザビリティ)やサービスを設計する、という考え方です。

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優れたユーザエクスペリエンスを与えることで、ユーザに高い満足感をもたらし、製品やサービスの競争力を飛躍的に高めることができます。ユーザエクスペリエンスという言葉はApple社が初めて使ったと言われています。iPodやiPhoneはユーザエクスペリエンスの象徴的な製品であり、Amazonはその象徴的なWebサービスなのです。また、ディズニーランドも来園したゲストに素晴らしい顧客体験を与えるエンターテインメントサービスなのです。

経験経済

では、なぜこのようなユーザエクスペリエンスが重要視されてきたのでしょうか?これまでの機能中心だったITの世界の製品やサービスが、このような体験を重視したものに移行してきている理由の1つには経済的な背景があると言われています。以下の図は、パインとギルモアが書いた「経験経済」という本から引用したものです。経済価値がどのように進展していくかを表しています。

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この図から分かるように、経済は、競争原理のもと変化していきます。最初は、コモディティを売る、次は、製品を売る、サービスを売る、という方向へ移行していき、コモディティ化を避けるため差異化となる新しい価値を作り出すことで成長していきます。ここで、コモディティとは一般化したため差別化が困難となった製品やサービスのことをいいます。このコモディティ、製品、サービスに次ぐ第4のレベルの「商品」が「経験」なのです。

例えば、コーヒーを例に考えてみましょう。コーヒーの場合は、まずはコーヒー豆を豆のまま売る、というところから経済が始まります。その後、コーヒーを淹れる手間を省くことで価値を高め、粉末のコーヒーにして売るといふうに経済がシフトし、次には喫茶店でコーヒーを出しサービス化します。この状態は長く続きましたが、ここで新しいパラダイムが登場します。他の喫茶店とは違う独特の空間(体験)を提供する「スターバックス」です。スターバックスは「The 3rd place」という言葉に表されるように、第3の場所を経験として提供する喫茶店なのです。元は同じコーヒーなのに、違う「体験」を用意することで高い付加価値を与えられるということを示します。

ITの世界でのソリューション

これと同じような現象がITでも起こってきています。機能がてんこ盛りで使った体験がよくないIT機器よりも、機能は少ないが使った体験のよいIT機器の台頭です。Apple社の音楽プレーヤiPodがそのよい例でしょう。iPodは発売当時、音質的にははるかに劣る音楽プレーヤでしたが世界を席巻しました。ユーザエクスペリエンスが優れていたのです。

つまり、新しい差異化要因として、そのサービスやアプリケーションを通してユーザが経験する体験そのものが重要な時代になったのです。前書によると、「エクスペリエンスの価格はコモディティや製品の数十倍から数百倍」とも言われています。ユーザは体験により多くの価値を見いだし、その対価を払うのです。以前トヨタのトップマネジメントの方がおっしゃっていて興味深かったものに「走れば、走るほど、空気が綺麗になる車をつくりたい」というのがありました。これもユーザエクスペリエンス近い考え方であると思います。

ユーザエクスペリエンスの実現には、メカニズムを実装する開発者とプレゼンテーションレイヤーで人を感動させるデザイナの共同作業が必須です。そこに求められるのは、ユーザとしての観点からの情報のデザインであり、一種の舞台演出です。自分ではなく、「相手の立場」からものが見れるかが大切です。もちろん、デザイン手法やデザインする人そのものの質的転換も必要です。特に、家電機器などで機能がこれだけ複雑化してくると、背後にしっかりした情報デザインの論理的な構造が必要となります。論理的な構造の設計はエンジニアが手慣れており、情動的なデザインはデザイナが優れています。デザイナとエンジニアが共通言語を持って機器のデザインと開発を混在して進める、そのようなチームが今後ますます増えるでしょう。最近の製品は静止した「絵」ではなく流れていく「演劇」(ある時間軸の中で、どんどん変わっていく)になってきていると思います。そこで必要なのは劇全体の「演出家」だと思います。まずは全体を見て演出する人がいて、個々のシーンのアートディレクションがある、というやり方、綺麗な絵が書割的に1つだけある、というつくり方ではユーザエクスペリエンス的に見てももう時代にそぐわなくなってきているのかもしれません。

その先にあるもの

ユーザエクスペリエンスの先には何があるのでしょうか?個人的には、経験経済の先にあるものは、ユーザ自身の「変容・変革」だと考えています。以下の図が示す経済価値の第5のレベルです。これはいくつか兆しが出てきています。体験を超え、ユーザそのものを変容・変革するものやこと、それが次世代のユーザエクスペリエンスでもあるのです。そして、もう1つ体験として今後重要になっていくものが生活体験 ( Life Experience ) でしょう。エンターテインメントから生活そのものの体験への移行、そしてその質の向上なのです。

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