☆多摩村と学童疎開(がくどうそかい)☆
戦争がすすむにつれて日本では学童集団疎開(がくどうしゅうだんそかい)がおこなわれるようになりました。
多摩村と稲城村には1944年(昭和19年)の8月に品川の学校から子どもたちがやってきました。そのうち多摩村では3つの寺が疎開してきた子どもたちがとまったり勉強したりする場所として使われました。
子どもたちは午前中に勉強し、土曜日や日曜日には親が会いにきておかしをわたすというこうけいも見られました。
しかし、くうしゅうがはげしくなると親を失う子どもができてしまいました。
1945年(昭和20年)5月の空襲では品川の学校が燃えてしまい、子どもたちの学校も失われてしまいました。
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