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2025年1月9日
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映画監督の大澤未来さんと学生が対話しました
「コンテンツ産業論」の特別講義として、映画監督の大澤未来さんと受講生の対話を実施しました。事前に受講生は大澤監督の『海でなくてどこに』(https://marylka-project.com/%E4%BA%88%E5%91%8A%E7%B7%A8/)の鑑賞しており、本作をベースに授業を展開しました。『海でなくてどこに』は第二次世界大戦期に難民となったユダヤ人(マリアとマーセル)が、ヨーロッパから日本の敦賀へ、そして上海の外国人居留地を経てオーストラリアへ至るという壮大な旅を描いたドキュメンタリーです。受講生からは「階段のシーンで暗いパートから明るいパートへと移るのはなぜか?」、「ナレーションを極力入れない構成にした理由は?」、「最後の和紙を使った芸術作品のメッセージはどこにあるのか?」といった、深い洞察から導かれた問いが投げかけられました。大澤監督も受講生の質問に真摯に答えてくださり、対話が盛り上がりました。
作品の鑑賞と監督との対話を踏まえて、受講生からは以下のような感想が寄せられました。一部を紹介します。
Aさん
『海でなくてどこに』では、語りや字幕が挿入されておらず、落ち着いた音楽と共に水面や船、静かな街並み、散歩する男性などが映されるシーンが印象に残りました。特にキラキラした水面が映される場面で語りを入れず、あえて余白を残すことで観客に本作の映像や内容について考える余地を与えていると考察しました。そして空や海、木々などの自然も人々の心の癒しや葛藤の象徴として機能していると感じました。
また英語でのインタビューが多く取り入れられていた中で、ナレーターがいるにもかかわらず日本語の吹き替えを使わず字幕で内容を伝えており、インタビューをした人の声のトーンや話す間、感情を観客が読み取れるように、あえて吹き替えを使わなかったのではないかと考えました。日本の憲兵隊が嫌な存在だったと話す場面には、それを経験した人にしか表現できない辛い過去を思い出す雰囲気がありました。
作品の最後で、和紙にマリアさんの映像が映されながらインタビューが行われるシーンが挿入されており、最初に観た時はなぜここで和紙が出てくるのか不思議に思いました。次の授業で大澤監督から直接お話を伺ったところ、「透けているところと、紙の繊維が重なり隠れているところの両方がある曖昧さ」という和紙の特質が、「重なり、揺らめき、透過させる」という「記憶」の特性を表現していると気付かされました。最後にマリアさんが「そして、次の瞬間には忘れちゃうでしょ、きっと」と言ったことに続き、ナレーションが「忘れそうになったら、観にくるよ」と返した場面で、昔の出来事が存在感を無くしたり、だれかが亡くなったりしても、他の人の記憶に思い出として残っている限り、その記憶の中で人は生き続けると感じました。
Bさん
『海でなくてどこに』は、第二次世界大戦期の難民の「生存」をかけた旅路と、その記憶を後世に伝える重要性を丁寧に描き出した作品だと考えます。特に印象的だったのは、大澤監督が物語を単なる歴史的記録として提示するのではなく、視聴者に感情的な共鳴を引き起こす構成を取り入れている点です。
まず本作が伝える重要なメッセージの一つは、「海」という象徴を通じた境界や逃避の意味だと考えました。冒頭の穏やかなBGMや黒背景に映し出される文字と交互に切り替わる当時の映像は、難民たちが背負った不安や希望を視覚的に表現していると感じました。また「海以外のどこへ逃げなければならないのか」という言葉は、彼らの切迫した状況を端的に表しています。この問いは、視聴者に境界を超えざるを得ない人々の立場に立つことを促していました。
また印象に残ったのは「窓」の映像の使い方です。本作では、窓を外側から捉えた構図が頻繁に登場します。この窓の映像は、内と外という空間的な区分を超えて、より深い象徴的な意味を持っていると感じました。窓越しに見えるのは単なる室内の光景ではなく、そこに住む人々の歴史や感情、あるいはその断片を垣間見せる存在です。しかし窓枠によって視野が制限されているため、視聴者は全体像を理解することができず、その向こう側にある広がりや背景を想像する余地を残します。
さらに窓を外から見る視点は、難民たちが社会の中でしばしば「外側」に置かれた存在であったことを暗示しています。窓は「内側に入れない」象徴として、彼らが孤立し疎外されている状況を視覚的に表現しているとわかります。同時に窓越しの映像には、外から見守る視線が含まれているようにも感じられます。これは私たちに、記憶や歴史を「見つめる責任」を問う役割を果たしているのではないでしょうか。
最後に「そして、次の瞬間には忘れちゃうでしょ、きっと」というマリアさんのセリフについてです。この言葉は一見、歴史や記憶が風化していく現実を皮肉に表現したもののように思えます。しかし同時に、忘却が避けられないとしても、なお「何を覚えておくべきか」を問いかけているのではないでしょうか。この言葉は忘却の可能性を認めたうえで、観る者に記憶を定着させる努力を求めるものであり、記憶を共有し続けることの重要性を強調しています。また作品自体が感情的な余韻を残し、視聴者に反芻させる構造を持っていることも、この問いかけに応える試みの一つだと考えました。
大澤さんのご講演の様子
授業内容 講演会